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2014年1月 5日 (日)

ファクトとエビデンスとサヴォナローラ。

140104_200256 柿餅。

岐阜か三重か・・・道の駅で買ったもの。まぁ、可も無く不可もない。茶菓子ですわ。

少し旧い話になるが猪瀬って都知事が言ってた言葉。「ファクト(事実)とエビデンス(証拠)が大事」って話だ。

ま、言葉で聞くと「そりゃそうだ」となるだろう。それにしても、本人がそれを実践出来て無かったのはお粗末過ぎますがね。

ところで、このファクトとエビデンスだが・・・猪瀬の愚かな部分は、これからの事に手を着ける手順が悪かった部分もあげられるだろう。いや、彼自身の話じゃなく彼が対象としていたものについてだ。元々、エビデンスが無いところに事実だけを突きつけたってそんなものは出てきはしない。だって端から無いのだから。それでも言われた側は昔のずさんな資料で繋げたツギハギだらけの資料で無様な物を出すのだろう。本来、それらは再構築資料にしかならないのだが、それでエビデンスって言い張るしか無いのでしょうね。こんな形態が大体の日本の定番なのかもしれない。

委員会とか作っても完全に再構築できているかは疑問が残る。資料を隠されてるかも知れないし、知らずミスリードされているのかも知れない。

ではエビデンスが先行していれば安心か?と言うとこちらも疑問が残るだろう。

ま、役所のとりかかる仕事の予想なんかもそうだが、希望が強すぎると理論的に整合性を持った誤魔化し机上論が出てくる確立が高いのだ。これは一見、整合がついている様に見えるが必ず穴がある。世の中、まだまだこうした手合いが多い。ことによったら昔より増えているのかもしれない。今とは仕事のやり方や構造事態が違うからね。

要するに結果は同じかも知れない。唯、検証はしやすいだろう。隠されなければ・・・だけど。

それでもあまり問題が起きない事柄があるならそれは基準自体が相当に下限に設定されている可能性が高いでしょう。企業が倫理的になれない以上、そうなっていく傾向は強くなるでしょう。あまり国民に益がある話ではないな。ま、きっちり守っているところが無いとは言わないけど、これらのあおりをクラってくるしくなるばかりなのだな。正に正直者がバカを見るといわれる所以か。でも、そういうやつが僕は好きですがね。

歴史的検証で愚とされる事を繰り返すのもこの辺りに原因があるようにも思う。

人は中々、自分の都合の良い展開を夢見がちだからね。

かように今の歪んだ社会情勢はこれらの理想と現実、施政と実態の相違がむちゃくちゃに絡み合った社会になってしまっている事による気もする。これらの事は個別書き出すと終わらないので各自で考えてみてみると面白いかも知れない。

この傾向はもっと大きくなっていくだろう。その後、統一した物が出来るのか元に戻るのか・・・預言者では無いので解りようもない。

しかし、一つのヒントとして「サヴォナローラの神権政治」があげれるだろうか。勿論、背景は違うが「サヴォナローラ(宗教)」が「猪瀬(都政)」に代わり、行った行為が「正しい締付け(ファクトとエビデンス)」であったとしたら・・・当時の国民と似た感情の動きを企業か国民が為しても無理は無いと思ったりする。ま、火刑なんて結末は無いけどねぇ。

いずれにしてもどの時代も生き難いところがあるものだな。

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